那賀町相生包括ケアセンター 浜田医師との対談


投稿者:管理者
(白山)
失礼ながら,先生のこれまでの簡単な経歴を教えて頂けますか

(浜田)
わたしは,もともと外科医志望で,自治医科大学を卒業し,地域医療を経験した後は,大学にさっさともどり,手術をバリバリやりたかった,(笑).で,義務最後の地が那賀町だった.そして,訳あってそのまま今日まで居ついたしまった..

(白山)
この地域は先生を中心に20年以上前から地域包括ケアを行っていると聞いていますが,なぜそういったシステムをつくろうとしたのか,そのプロセスはどのようなものだったのですか.

(浜田)
地域包括ケアは,それをやりたくてやってきたわけではなくて,たまたま赴任した現場においていろんな問題に直面してしまい,その問題を解決していくうちに地域包括ケアシステムができあがった,というわけです.直面した問題とは・・,問題は大きく3つありました.
1つ目は圧倒的医療危機.人口4,000人の町で,医師は年老いた開業医さん1人と僕の2人.日本の平均医師数は,人口1,000人に2人なので,6人足りない計算.そんなわけで,外来は死ぬほど忙しいし,ときどき無医村状態になるのでおちおち死ぬこともできない(死亡診断書が書けない).また,そう簡単に入院できないので在宅で診る人が多くなる(これは良いことかもしれないが,訪問診療を充実させるには人が足りない).「もうひとり医者を増やさんとあかんよ」と前任者からバトンを受けました.
2つ目の問題は,システムレス.医者は病気や怪我という軸で困った人を笑顔にしようとしますが,現場には,別の軸で困った人を救おうとするよく似た職種がいて(あたりまえの話ですが),そのよく似た職種(=我々)が相手とする方々のほとんどは在宅のひとなのですが,その方々が受けているが実にバラバラでデコボコ(公平性や客観性がない,さらに非効率)だった.原因は,情報共有したり垣根をこえて協議したりするシステムがないことでした.
3つ目の問題は,へき地医療を担う医師が増えないこと,誰一人としてへき地医療に興味を持たないこと.原因は,へき地医療現場が抱える現状,孤独感,不安感,重責感,マンネリズム,劣等感,非名誉感,でした.これらの3つの問題を解決すべく当時立ち上げたプロジェクトが「プロジェクトA」と称した相生包括ケアシステム稼働構想でした.

(白山)
その具体的なポイントはどのようなものだったのでしょうか.

(浜田)
1) 医療問題を解決するために,365日24時間体制で入院できる医療機関をつくり,医師の常駐を1→3以上にする.
2) システムレスを解決するために,保健医療福祉を統合するシステムを作る.今でいう地域ケア会議みたいなシステムをつくる.
3) へき地医療問題の解決にむけて,孤独感,不安感,重責感,マンネリズムの解決のため複数医師とし,劣等感,非名誉感の打開のために,世間の人々が注目するようなシステムにする.
波乱の末,相生包括ケアセンターが出来ました.その結果,医療不安は払しょくされ,保健医療福祉統合システムが出来て,公平で客観的なサービスが効率よく展開できるようになり,さらには.「ここならしばらく働いてもいいな」という医師も現れました.診療所もどんどん儲かって,3名の常勤+2名の非常勤へと医師も増やせて,かつ機器も買いたい放題,となりました.

(白山)
でも,社会システムというのは人によって作られるもので,それを維持したり,さらに更新したりしていく方が実は難しいですよね.その点は?

(浜田)
一般論としてシステムは作るだけでは不十分で,しっかり結果を出して継続しなればならないわけですが,我々が「その結果」としてこだわったのが「町としての成績」でした.例えば,標準化死亡比や,医療費,介護保険費,介護保険認定率,さらには在宅看取り率,などです.そして相生町時代において,これらすべてにおいて優秀な成績を打ち出すことに成功しました.標準化死亡比が低い=長生きできる.医療費,介護保険費,介護保険認定率が安い=重病がすくない,みんな元気,税金が安いからお金も貯まる.在宅看取り率が高い=安心して自宅の畳の上で死ねる.総じて「住んでよかった,住んでみたい町」となりました.そういう意味で,相生の地域包括ケアは大成功を収めたと得心しました.という,こんなちょっとした物語があった,ニーズを解決しようとしたらたまたま地域包括ケアになった,というわけです.

(白山)
再度,ここで包括ケアの目的を整理するとどうなりますか.

(浜田)
1) ニーズが何か明らかにすること.そもそもニーズがあるのかどうか?
2) ニーズに対して公平なサービスを提供すること,そのためには多職種間での情報共有が必要になる.
3) 客観的に正しいサービスを提供すること,そのために大勢で協議しないといけない(独りよがりにならないよう).
4) これらのサービスが,少ない人数で効率よく行われなければならない,特にへき地ほど.そのために,動線を短くする,ICTを使うなどの工夫が必要になる.
5) システムがうまく稼働しているか,継続性は担保されるのか,モニタリングしなければならない.モニタリングするうえで,包括ケアシステムの規模は,3-4000人規模のエリアを構築するほうが結果を出しやすい.

(白山)
では,今後先生の掲げる包括ケアはどうなっていくのでしょうか.

(浜田)
市町村合併,医療計画の変更など,相生地区の包括ケアの様子もかなり変わりました.那賀町全体のことも考えないといけないし.そこで,在宅看取りや介護予防といった従来から力を入れてきた部分は残し,医師確保がむずかしい現状を踏まえつつ,通院困難者への対応や,認知症の初期対応など,丁寧に多職種協働で対策を図っていくしかないかと思っています.

(白山)
浜田先生は,地域のいろいろなことに気づき,包括ケア発展のために実践してきた人です.これからも,培ってきたノウハウや経験を,他の地域へも是非還元していってほしい,これは先に気づいた者の責任として頑張って頂きたいと思います.はじめてお会いしたにも関わらずこんなにたくさんのお話を伺えましたこと,本当に感謝致します.
 
そのあと,施設のご案内や研修医さんもご紹介して頂き,あっという間に夕暮れに.相生包括ケアセンター,素敵な場所でした.素敵な場所には必ず素敵な人がいます.地域包括ケアシステムがより進展しいくために,こういった素敵な方々にお会いし,その考え方,経緯などをみなさんお伝えすることで,少しでもお役に立てれば嬉しいですね.

対談者 那賀町相生包括ケアセンター センター長(医師) 浜田 邦美 先生
聞き手 徳島大学大学院 白山 靖彦

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